伝統産業ガイドブック 2023年3月発行
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●岩槻の人形に属する事業所については、p03から紹介します。●浦和のうなぎに属する事業所については、p10から紹介します。●大宮の盆栽に属する事業所については、p09から紹介します。さいたま市伝統産業/伝統産業マーク 埼玉県の人形作りは、大都市に成長した江戸の需要を受け、鴻巣や越谷などで農閑期の余業として江戸時代に始まった。岩槻でも「雛屋」の屋号を持つ家があったことが資料にみえるが、近代になってから本格的な産地形成が進み、大正期には雛人形組合が結成された。大正12年(1923)に起こった関東大震災の影響で東京の技術が流れ込み、高度経済成長期には県内最大の産地となった。 江戸時代からの伝統的な製作技法である桐塑頭のほか、衣裳着人形の胴体、木目込人形、五月飾りの鎧兜、人形の小道具と多岐にわたる製造者が集まり、昭和53年2月には「江戸木目込人形」、平成19年3月には「岩槻人形」が経済産業省の伝統的工芸品に指定された。現在では石膏頭など新しい技法も普及している。人形関連の地域イベントも盛んで、市民に広く親しまれる存在となっている。 県立文書館収蔵「会田家文書」(江戸後期の古文書)には浦和から江戸赤坂の紀州藩邸にうなぎを献上していたことが記されているほか、「浦和宿絵図」(弘化年間・1844〜48年)に「蒲焼商」の名が記載され、江戸時代以来、浦和の名物として市民や来訪者に親しまれている。 市内では現在でも浦和区を中心として、江戸時代以来の「裂き」「串打ち」「焼き」「たれ」などの手しごとの伝統的技術を継承する老舗が集積して活動している。岩槻の人形発祥の経緯及び指定理由浦和のうなぎ発祥の経緯及び指定理由 盆栽は江戸の町で流行し、現在の台東区、文京区に盆栽職人が集積していた。「大宮盆栽村」は関東大震災で被災した東京の盆栽職人が、盆栽の栽培に適した広い土地、新鮮な水と空気を求めて集団で移り住み、大正14年(1925年)に誕生した。旧大宮市に編入されてからは、「盆栽町」という行政上の町名になった。 現在、盆栽は世界に広まり、「BONSAI」という言葉は世界の共通語となっている。 市内では、現在でも北区を中心として、江戸時代以来の手しごとの伝統的技術により盆栽造りを営む盆栽園が集まり活動している。大宮の盆栽発祥の経緯及び指定理由02さいたま市では、「岩槻の人形」「大宮の盆栽」「浦和のうなぎ」の3つの産業を伝統産業に指定しました。さいたま市では、伝統産業及び伝統産業事業所を、さいたま市ブランドとして広くPRするため、伝統産業マークを作成しました。さいたま市伝統産業伝統産業マーク

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